奨励学級 第五回 住民主体のまちづくりの方法論 

講師:木下 勇さん(大妻女子大学社会情報学部 教授)参加者 15名

木下 勇さん 
新聞紙を使ったワークショップ
Workshopとは
ワークショップの歴史と方法論
小平をめぐるワークショップ
木下先生によるまとめ
木下先生によるまとめ

イントロダクション「新聞紙を使ったワークショップ」

講演に先立ってアイスブレイクとしてのワークショップが行われた。3つのグループに別れた参加者がそれぞれのテーブルの上に置かれた新聞紙10枚を使って3分間で自立するタワーを作り、その高さを競うという内容。

まず、お互いの緊張を解いて一緒に作業を始めるのがアイスブレイクの目的だが、このアイスブレークから本題に繋がるようにプログラムされたもう一つの作業が進められた。グループの一人ひとりが同じ新聞紙一枚から「ワークショップという言葉から連想する形を作る。」が次の課題となった。

それぞれの経験から出し合う新聞紙による形はいろいろだが、集合的にワークショップを物語ることになる。そこに気づくと、まさにワークショップとは集団の英知を結集する方法だったことがわかる。

農村では、正月のどんど焼きとか集落の中にまだ共同作業があったりするが、しかし社会の変化によってこの機会を失ってきた。ワークショップは、昔から地域の運営をどうしたらいいかという知恵を結集する方法として考えられてきた経緯がある。それが教育とかダンスとか演劇あるいは公民館の活動を通した社会教育につながっている。 ワークショップの企画はアイスブレイクから本題へとスムーズに流れるようにプログラムすることが要点。個人がやったものをグループで紹介し、全体でシェアする、共有するというのはワークショップの重要な要素

ワークショップって何?

辞書をひくとワークショップには工房とか作業場という意味があるし、最近では研究集会の一方向の発表に対しても使われるが、自分は集団創造という意味で捉えている。集団で、いろいろな意見視点の違い価値観の違いもあってバラバラだけれど、それぞれが主体的になって一つの場でそういう違いも理解しながらつの目標に向けて作り上げるということ。

「協同」「集団創造」「共有」「プロセス」が重要。私「個」の個人作業から、グループ作業を通して、私たち「全体」へ持っていくこと。

一般の会議の形式では、言葉だけだが、人間の想像力は言葉だけではない。美術やダンスのように身体的なところにある。身体を働かすというのもワークショップのまた一つの要素。

体験と言葉が結びついたときに「意識化(Conscientization)」が起こる。教育哲学者のパウロ・フレイレが考案した造語だが、これがワークショップの非常に重要なポイントだと思っている。

学生に自分が住む街の地図を描いてもらうと、ファストフードとコンビニが中心となる。街の地域性というものが見えなくなっている。すでに1970年頃に寺山修司などが予言していたことだが、世の中どこも同じようになっている透明な存在のもとに、消費社会の行く末は自分自身が透明になってモノで表されるようになった「You are what you buy.」。

1840年にフランスの政治思想家トクヴィルが当時新興の民主主義国家であったアメリカ社会を観察して「…だれもが自分の世界に引きこもり、他のすべての人の運命に関わりを持たない家のようである。だれにとっても、自分の子供と特別の友人とが人類のすべてである。その他の同法に関しては、傍らに立ってはいても、その姿は目に映らない。」と言った。そして背後には巨大な権力があり、「…決して弾圧はしないが、人を妨害し圧迫し無気力にし、意欲を失わせ、感覚をマヒさせる。」記号論学者は同様のことを記号消費社会と呼び、若者は記号化されたものに敏感でそれに動かされる…という。

現代社会はそのように、個人は自分と家族を大事に、隣近所は関係なくスクリーンやインターネットでつながる人が大事になってきた。そして地域社会が作っていたガバナンスのあるコミュニティの力がだんだん薄れていって孤立する。もともとは社会の中の関係で社会関係資本として持っていた機能が薄れる。もはや1人暮らしの孤独死や子どもの虐待とかいろいろな社会の問題も行政だけでは解決できない。これがまちづくりの課題にもなっている。ワークショップは、これまで意識しなかったそういう壁を気付かせ、壊す。

ワークショップの専門家

そういう中で社会の現在の問題を直視しながら、どう解決したらいいか。日本では、市民が立ち上がって解決に向かうという「まちづくり」や「市民活動ワークショップ」については、アメリカからの流れを受けている。NPOや市民活動に立ち上がって行政ができないことを自分たちが解決する。

NPOが力をつけている道具としてワークショップがいろいろ開発されてきた(「タワーゲーム」も米国のNPOが開発した)。NPOが自分たちでいろいろな問題を直視してそれを解決する人が繋がる方法を考え、その目的に向かって問題解決していくそういうプログラムである。

記録スタッフが必要だったり、またお茶とかちょっと食べる用意して休憩を取りつつ経験的にも楽しくなるような場の雰囲気を考える役割。ロジスティックスとして道具もすぐ取り出すそういうチームで組んで、その企画の準備段階でスタッフがファシリテーターチーム下でシミュレーションしつつ、こういう流れがいいと検討しながらプログラムを企画する。

ワークショップの広がりと危機

ワークショップは日本でも広がっているが、行政の事業などで合意形成が必要、何か公共事業でも業者やコンサルティングへの発注に市民を集めてワークショップを3回やるとか、合意形成しないまま住民参加のアリバイ、免罪符のようにワークショップが使われている例も結構見受けられる。

東日本大震災における広大なエリアの復興の中で行われた数多くのワークショップに反感を持たれた。最初は期待を持たせてやったけどその通りに話が進まない。免罪符として使われて残念である。本来なら市民が立ち上がるという方向にファシリテートする専門家が関わるべきだが、発注する国の方もそれを理解していないところが問題

ここがアメリカと異なる。市民パワーの違いを感じる。インフォメーション(情報)とインボルブルブメント(参画)は天秤の関係だという。情報をできるだけ多く出せば市民も参加してくるということ。その理論的な背景としてドイツのハーバーマスのコミュニケーション理論を紹介する。

過去の「成果志向的行為」に対して、ドイツで市民が立ち上がってやっているのは、その目的に向けた目的の結果ではなくて、プロセスの中で市民が知り合ったりそのプロセスの中で意識がついてくる。それ自体が楽しい、意味があることを市民は実感している。行政は公共事業の目的のための市民参加と言うけどそうではないと、今まさにそのプロセスの中に入ることが生きていることでもある「諒解達成志向的行為」。人々がコミュニケーションする、それ自体が楽しいから、価値があるからやっている。

ロバータ・B・グラッツ氏と延藤安弘氏による「まち育て(Urban Husbandry)」という考え方がある。今までプロジェクトにおいて不動産開発などでビルが建っても失敗したところが再生するのは、市民自身の力によるもので、その中で市民の知恵を結集して、いろいろなアイデアの中にコミュニティービジネスが起こったり、お互いに助け合ったりということが起こっている。このアーバン・ハズバンドリーが持続可能なやり方となる。

長期的に自分たちの地域をどうするか市民主体で考えるエンドレスな営みの中に、たとえば公園づくりのときどうやろうか、その時にワークショップが行われる。その利害関係者を明らかにしてステークホルダーに参加してもらう。そういう参加のプロセス企画が必要となるが、ここでは全体の計画が大事でその結果をどう使うかというようなことも考えながら長いプロセスの中でその事業を位置づけながら組み立てることが大事である。

ワークショップの歴史と方法論

自分がワークショップに関わるきっかけは、1979年のローレンス・ハルプリンの来日に始まった。日本で最初にワークショップを農村部で村づくりに応用した。カタカナが馴染まないので、「椿講」と呼んだ。この活動は10年後に土地利用調整計画として実体化した。

論理的な背景としては、モレノやクルト・レヴィンの心理学からの試みがある。アクションリサーチ、PDCAサイクルも主体性を喚起するという意味で子供のまちづくりへの参画に適応された。

米国ではコミュニティデザインセンターなど地域において、デザインゲームとかファシリテーショングラフィックなどいろいろな方法が、専門家やNPOによって展開され、開発された。

身体化

フィリピンの「PETA(フィリピン教育演劇協会)」にはまた違うルーツがある。アメリカでパウロ・フレイレなどの方法を経験した後で、身体上の方法論で独自に、フィリピンが演劇方法的な方法を使ってストリートチルドレンの問題とかいろんな問題を考えるようになる。

そしてこれがまた日本の佐藤信主宰の黒色テント68/71の活動に影響を与えた。このとき学生時代の自分は武蔵野美術大学教授の及部克人氏と演劇ワークショップ「太陽の市場」への参加に至り、その後まちづくりと融合していく。


その後、世田谷での平野氏の活動などに参画、青少年や高齢者の地域の課題を地域で解決する。これが今は全国組織となった「老人給食協力会ふきのとう」へと創造的に変わっていくというワークショップの力がある。

世田谷の太子堂の話

1980年の都市計画法改正、建築基準法改正で地区単位のまちづくりとしての地区計画制度が導入された。ドイツに習って住民が集まって地域のいろいろな形態規制や細かい規制を作ることが議論されていたが、東京都内で白羽の矢が立ったのが、この防災上一番危険な「木造密集撲滅地区」という世田谷区太子堂の二・三丁目地区

地区計画のためのまちづくり協議会をどう作ったらいいかわからず始まった。準備会の時から関わる。このときすでに行政は地区計画の青写真を作ってたが、これを協議会、懇談会までは出さない。最後の方にこれがあるというのが発覚し会議は紛糾した。

「成果志向的行為」としての目的は、木造の古い小さい建物を何軒か一緒に協同で建て替えて、道幅が4メートルに満たない2項道路を広げること。こういう情報を住民が受けて、住民が主体的に考え始める。しかし住民が大事にしたかったのは、こういう道路でも子どもが安全に遊べるとか、路地の井戸端会議だとか、行政の目的にはないもの。

行政の方は、まちづくり協議会を一応公募したけれど、町会長、連合町会長にも会議に出てもらった。そうすると町会長と新住民との新旧の対立も生まれる。そこでワークショップの開催を提案したが、カタカナ言葉を拒否される。そこで言葉を変えて「歩こう会」として始めた。子供も参加する町の点検、単語オリエンテーリングゲームなどを通して、点検地図を作成。

大人は、どこが危ないとか、この道が狭いとか、この家は古いとか、マイナスのチェックばかりだが、子どもたちは、この道でコーヒーの匂いがする、木に小鳥がいっぱいいるなど良い面を点検してくる。行政側の視点に誘導されていたのが、それだけでなくこの地区はこんないいところもあるというのは子どもに教えてもらった。

その後、行政が持っていた空き地の活用をワークショップとして展開。その運営を協議会が引き受け管理し始めた。それまで計画に反対していた住民も子どもたちの遊ぶ姿を見て、協力的になる。意識化(Conscientization)が起こったといえる。結果的に行政が目的とした公園面積も2倍3倍に増え、空地を増やせば耐火建築物もそれなりに増えて、道路も広がり、防災上一番危険というところから脱却できた。

さらに、暗渠化された水路からせせらぎを復活させる計画が協議会から提案されたが、沿道で反対運動が起きる。ここでも現場を見るワークショップ開く。他の事例を見学したり、いろいろな情報を得つつ、賛成反対の意見が紆余曲折していくなかで、行政の方に上総掘りによる地下水を使うべきじゃないかという逆提案をした。雨水利用と地下水事業の先駆となるはずだったが、行政側はすでに国の補助事業としてプールからの水を引っ張る発注を済ませていたという顛末。

全部がすべてうまくいくわけではなくていろいろなことがある。トラブルから何か、みんな何かを学びながら、残念な思いもあるけど、いい面もあった。そういうところ良い面を見て次につなげていくそんなものがワークショップの街づくりへの応用だと思う。

小平をめぐるワークショップ

感想や小平の課題、何か、ポストイットカードに書き出す。

「緑とか、玉川上水とか、そういう保全という観点での意見」

「市民がいろいろ活動しても、やっぱり行政との意識とか視点とかの違いが大きくて、「この事業をするためのワークショップ」的なところと、住んでいる人はこういうふうにこうあってほしいみたいなところのズレが埋まらないまま公共事業が進んでいるということ」

「ひとつは、地域的な自然の中でいろいろな問題が発生している。計画時のアセスとか場所の問題」

「自然環境による農地の減少。保全林の減少。鎌倉公園の問題。人より道路が優先で空いているようなこと。自然の破壊の問題。玉川上水など。」

「社会福祉的に大きな問題となるのは公民館はなぜ有料なのか。ワークショップを行うアリバイ作りのための答えを出す小平市の動き。」 

高齢者の見守りとか認知症のオレンジカフェの問題。居場所作り、ひとりの老人の居場所づくりがうまくいっていないのではないか。」

「小平市に問題があっても全体の市民に伝わらない。」

「平和だからまちづくりの意識が低いという傾向。」

「旧佐川邸という具体的にうまくいっている事例、どうしてそうなったかというと行政の人が変わった。市民が中心となった非常に画期的なワークショップが行われていたということ。」

「ワークショップの中心となる人物が必要なのではないか。最初に行政の下絵があるということではなくて、白紙の段階から市民が参加するということが必要。」

木下先生によるまとめ

  • 自然豊か、玉川上水、水と緑。農地を含めて。こういうものと開発のぶつかり合い。
  • 従来のように高度経済成長ではなく人口減少。そういう成熟した中でどういう街を作っていくかという小平の大きな将来の姿と、それらの事業単体との整合性。
  • 環境への影響。SDGS、水の豊かさとか。どう持続可能なまちづくりとするか。
  • アセスの制度もあるけど、それも日本では制度的には不十分。戦略的アセスは議論されているけれど、日本のは事業が決まってアセス。ここには事業をやらないという選択肢はない。
  • 生態系のネットワークについて、小平市のガイドはあるのか? オランダをはじめヨーロッパ、ドイツでもミティゲーションという生態系をつなげていくプランを作っている。事業はそういう全体像の中にあるべき。日本は非常に遅れている。玉川上水などで市民の力でデータや何かを基にしながら変えていくという運動が必要だと思う。
  • 間接民主主義の日本の中でどうこういう論を展開すべきか大きな課題。その辺にワークショップ型で市民の知恵を結集して制度を変えるようなものに持って行ければ…。
  • この主体は子どもを含めた市民そのものであり、イギリスでも70年代にシティズンシップ教育によって変わってきた。
  • お上に反発するとは何事かという意識、精神はまだ途上にある。
  • 公民館を通した活性化については、福井県の上中町や長野県飯田市に中心市街地活性化などの先進事例がある。
  • 「事業vs生活」大事なのはその生活で将来どうしていくか。ビジョンを皆で共有してこの事業のあり方をチェックし振り回されない事業であると位置づけ、市民側がちゃんとした生活がどのようにあるべきかをはっきりさせていくことが大事。
  • 政治学者の丸山真男の言葉。民主主義では理念と制度と運動の三位一体
  • ドイツのミュンヘンのフォーラム。みんなが集い制度を変えていく。自分たちよりの市長を選出するまでドラスティックに変える。こういう活動を確認するのもワークショップである。
  • コロナ禍でオンラインで使えるツールがいろいろ登場してきた。オンラインと合わせてリアルなワークショップを展開する。今の時代にみんなで知恵を結集して次にどんな風にうまくシミュレーションやるのか考える、それ自体がまた楽しい。ワークショップが続くのはそういう楽しさ。

感想(篠崎)

「わたしたちのまちのつくり方」には、私を含め2名の武蔵野美術大学のOBが参加しているのだが、冒頭で木下先生にそれが伝わると、かねてより交流の深い視覚伝達デザインの及部先生をご存知ですかとの問いかけがあった。もちろん、時代を超えてお互いに非常に親しい関係がったことが知れた。この思いがけない関係の発見から今回の講演は始まった。

まず新聞紙を使った「タワーゲーム」によって、チームと個人の関係の中に、ワークショップの意味が見事に浮かび上がった。例えばこれは、かつての農村での行事の中に自然に取り込まれていた集団創造なのだが、現代社会の中でこの力が薄れてしまったことを実際のワークショップの体験を通して気付かされる。またアイスブレークとしての共同作業から講演の主題へと自然につないでいくワークショップのプログラム自体が見事だった。

一方で歴史を遡ってみると、近代社会の成立とともに、社会の中でのコミュニケーションに大きな変化があることを洞察したトクヴィルの視座や、それを回生するための方策として、パウロ・フレイレの「意識化(Conscientization)」から始まるワークショップの手法が進化してきたことが興味深い。これが、アジア、日本へと伝わってくるのだが、かつて自分も学生時代に観劇した『黒テント』が深く関与していたことはもうひとつの驚きであった。

今回の奨励学級の第5回への参加はこれまでの他の回よりも少なかった。木下先生もかつての得体の知れないカタカナの活動への抵抗感として触れられたが、今や私たちにはそこまでのアレルギー反応は持ち合わせていないものの、やはりワークショップと聞くとちょっと参加が、億劫になるあることは否めない。しかし、ちょっとしたハードル超えこそが、自分の中に次の行動へのきっかけを宿すことに他ならないと確認できた。

それぞれの講師の方々との調整の中で、連続講座の最後に木下先生をお呼びすることとなったのだが、この講演を聴いて、ワークショップと現在のまちづくりとの非常に深い関係性が再確認でき、まさに最終回にふさわしく「市民主体のまちづくりの可能性」をまとめる回となったと思う。

以上(篠崎)

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